BEAMS代表取締役 設楽洋 × REMI RELIEFデザイナー 後藤豊

INTERVIEW

  • BEAMS代表取締役YO SHITARA

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    REMI RELIEFデザイナーYUTAKA GOTO

それはレミレリーフが世に知られるよりも少し前、デザイナーの後藤豊が出来上がったばかりの洋服を持って門を叩いたのがビームスだった。10代の頃から通い続けてアメカジを、ファッションを教わったショップに自分の洋服を見て欲しい。そんな初期衝動から早10年。ビームスとレミレリーフの絆は以前に増して強固なものになった。ここで送るのは、そんな名店の創始者にして、レミレリーフの最初期からの愛用者でもある設楽さんとのクロストーク。お互いが手を取り歩んできた道のりと、これからの彼らのこと。

−−今日は設楽さんと後藤さんに昔話から今後のことまで、色々と伺えればと思っています。よろしくお願いします。
設楽洋(以下設楽):はい、よろしくお願いします。
後藤豊(以下後藤):よろしくお願いします……!
−−……後藤さん、もしかして珍しく緊張されてます?
後藤:はい……そうなんですよ(苦笑)。
設楽:えぇ!? なにを言ってんですか、今さら(笑)。
−−そうですよね? お二人のお付き合いはかなり長いと思いますが……(笑)。そもそもビームスでレミレリーフを取り扱い始めたのはいつ頃からだったんですか?
設楽:1番初めからですよ。だから、ちょうど10年前ですね。よく覚えてます。
後藤:僕、当時それまで勤めていた会社を辞めて独立したのが7月で、9月にある合同展に出ようと思っていたんですよ。でも8月にはサンプルが上がってたから、最初の展示会をやる前にビームスさんに電話して、商品を見ていただいて。それでそれからすぐにオーダーをくれたんです。だから、本当に最初にレミレリーフを扱ってくれたのがビームスさんだったんですよ。
設楽:1番最初に持ってきていただいたっていうのはありがたいですよね。僕、個人的にもレミレリーフ、大好きなんですよ。
−−今日着られているデニムシャツもレミレリーフのものですもんね。設楽さんは最初はやっぱりデニムで興味を惹かれたんですか?
設楽:いえ、最初に手に入れたのはポケット付きのTシャツでしたね。それは最初に見て買って、着たらすぐに気に入っちゃって。次の日には同じものを3枚買い足してました(笑)。
後藤:そんなに着ていただいてたんですね(笑)。ありがたいです。実はそのポケTはビームスさんのエクスクルーシブで作ったんですよ。そのために編み立てた特別な生地を使っていて。今もずっと続いていて、ブランドとしてもかなりロングセラーのアイテムになってますね。
−−設楽さんはそのポケTのどこにそんなに惹かれたんですか?
設楽:サイズ感のバランスもそうだし、素材が本当に良くて。Tシャツであまり厚手のものって多くないと思うんですけど、レミレリーフのポケTはかなり厚手で。体型もカバーしてくれるから、僕らみたいな年になってくると特にありがたいんです(笑)。スタイリッシュに見えるし、僕らが好きだったアメリカの雰囲気もあって、一目で惚れました。
後藤:ビームスさんでレミレリーフの取り扱いが始まるにあたって、何か定番的なものを作っていこうっていう提案をいただいて、一緒に作っていったアイテムなんですよ。それが10年続いていて、今も毎年かなりの数を出荷させていただいてます。
設楽:そもそもレミレリーフをバイイングさせていただいているビームス プラスというのは、“初期のビームスを再現しよう”っていうコンセプトで始まってるんです。古き良き時代のアメリカものを扱っていたころのビームスを。ファッションも旬もどんどん変わっていくけど、永遠の定番になるようなものを作ろう、って僕が指示を出して。微調整はあっても、ずっと長く定番として残っていくものを提案したかったんです。レミレリーフはそこにぴったりとハマりましたね。
−−“アメリカ”がキーワードにあったんですね。
設楽:1番最初、’76年にスタートしたときの名前は、“アメリカン ライフショップ ビームス”だったんです。つまり、どちらかというとファッションよりもライフスタイル的な部分が大きくて。ファッションは川の流れのように表面を流れていくものだけど、その中で流れずに沈殿して、ライフスタイルとして定着していくものがあると思うんです。その両方があるのが面白いと思うし、そういうお店にしたいっていうのは創業から変わらない想いですね。本来そこはビームスというメンズカジュアルレーベルが担っていたことなんですけど、ストリートの流れが強くなったり、世の中の流れが変わってきたから“ビームス プラス”として独立したものにしようと思ったんです。そこに、後藤さんの登場ですよ(笑)。
後藤:(笑)。でも、そう考えるとたまたま、ビームスの中でもプラスさんに商品を見てもらったっていうのも、長くお付き合いが続いている理由なのかなって思います。
−−後藤さんは初めてビームスに行ったときのことは覚えていますか?
後藤:覚えてますよ。高校生のときで、地元の名古屋のお店でしたね。そのときは確かMA-1を買いました。
設楽:栄のビームスだね。
後藤:そうですね。まだビームスさんのショッパーがビニールのナップサック型だったときでした。オレンジ色の。高校の水泳の授業はそれに荷物を入れて行ってましたね(笑)
設楽:そういう時代でしたね(笑)。
後藤:僕が中学、高校くらいだった頃は、例えばDCブームとか、ファッションに完全な流行があったんです。だから、デートに行くときはコム デ ギャルソンを着てるんですけど、普段着てるのはビームスで買ったアメカジみたいな。僕らの世代はそういう人、多かったんじゃないかなぁ。
−−本格的なアメカジの土臭さは女の子によっては苦手だったりしますもんね(笑)。
設楽:そうなんですよ。でも、レミレリーフは女性にもすごく人気がありますよ。僕も、前にビームス 二子玉川で後藤さんを招いて開催したオーダー会には女房と行きました。評判、良かったですよ(笑)。
後藤:ありがとうございます(笑)。僕、昔から古着をよく買っていたんですけど、時代によってはアームホールが大きかったりするから、自分でそういうものをシルエットを直したりしながら着てたんです。言っちゃえば邪道かもしれないですけど、その経験がレミレリーフの物作りにはつながってる気がします。
設楽:レミレリーフの服って、やっぱりアメカジの基本というか、芯を押さえてると思うんですよ。見れば後藤さんの作った服だってわかるし、時代に合わせたバランスに見事になっているのも、ただの復刻のアメリカものにはない魅力ですよね。
−−やっぱり設楽さんの中に、アメリカの服に対して“こうだったらな”とかっていう不満みたいなものがあったんですか?
設楽:その“ここがこうだったらな”っていうのが的確に反映されてるのがレミレリーフだと思います。それから、これは僕だけが感じてることかもしれないけど、若干色気があるんですよ。コアなアメカジってやっぱり男服だと思うんです。格好いいけど、女の子にはモテなそう(笑)。だけど、レミレリーフは女の子が見ても魅力的に見えるような色香がちょっとだけ入ってるんですよ。そこがすごくいいですね。
後藤:多分、モテたいなと思いながら作ってるんでしょうね(笑)。
設楽:それをちゃんと感じ取ってますよ(笑)。
−−服を作ったり着る上で、やっぱり女性の目線っていうのは大切ですか?
後藤:うーん、でも男がファッションに興味を持ちだすのって、少なからずモテたいからだと思うんですよ。僕自身も昔そうでしたし。
設楽:僕もそうでしたよ。でも、男で本当の服フェチっていうのがいるとしたら、この世に女の子がいなくてもおしゃれをするヤツだと思うんですよ。僕は違いましたね、完全に(笑)。
後藤:(笑)。でも、そういう服フェチのお客さんもビームス プラスには多い気がします。だから、僕とプラスさんに相反するところがあるとしたら唯一そこだと思うんですよね。
設楽:だから余計に僕らもクラクラっと来たんでしょうね。
−−今日は設楽さんに私物のレミレリーフも何着かお持ちいただいていますが、このダウンベストはいつごろのものですか?
設楽:どれくらい前だろう? 3年前かな?
後藤:えっと、これは4年前ですね。ハリスツイードのウールとデニムのジャカードなんですよ。生地から作りました。
設楽:もうすごく気に入ってて。めちゃくちゃ着てますよ、ヘビーローテーションで。あまりに気に入って、自分の義理の息子にも同じものを誕生日に贈ったくらい。オソロで着たりしてます(笑)。
−−ちなみに、このダウンベストで設楽さんの一番お気に入りのコーディネイトはどんな組み合わせなんですか?
設楽:一番よくするのは、下はリーバイス®501®を履いて、ジョニオくんの、アンダーカバーのジャケットを着て、その上にこのダウンベストっていう格好ですね。レミレリーフだと、そういうことができるんですよ。やっぱり、それも若干の色気があるからなんだろうなぁって思うんですけど、まさかアンダーカバーのジャケットに合うとは思ってなかった。でも、ぴったり合うんです。
−−賢いお買い物だったんですね(笑)。逆に設楽さんくらいオシャレのキャリアがあっても買い物の失敗はあるんですか?
設楽:洋服は失敗っていうのは少ないんですけど、気に入って買って帰ったら同じものを持ってたってことは何度もあります(笑)。あとは、服以外の通販とか。
後藤:設楽社長、通販されるんですか?(笑)
設楽:いや、僕、通販に弱いんですよ(笑)。テレビの深夜番組とかを見てて健康器具とか売ってるじゃないですか? 最初は「こんなの誰が買うんだよ?」とかって思ってるんですけど、見てるうちに「……ちょっと電話番号だけメモしておくか」ってなって、“今から朝までに注文すれば〜”とかって言われると最終的に電話しちゃう(笑)。
後藤:あはは(笑)。
−−失礼ですけど、典型的な良いお客さんですね(笑)。ちなみに健康器具の失敗率はどのくらいですか?
設楽:ほぼ100%ですね(笑)。だいたい2回くらい使って終わりで、箱から出してないやつもあると思います。家族には「置く場所考えろ」っていつも言われてます。
−−……コストパフォーマンスはあんまり良くないですね。
設楽:はい(笑)。だからそういう意味で後藤さんの服は十分元が取れるからありがたいですね。
後藤:なんだか恥ずかしいです(笑)。作ってる服って、自分の中ではどんどん過去のものになっちゃうので、頭の中はもう次のシーズンになってるんですよ。だから過去のものを褒めてもらうと、嬉しい反面、気恥ずかしいんですよ。
設楽:あぁ、やっぱりデザイナーの頭だね。
−−昔のまま、ずっと変わらないこと美徳とするようなアメカジ好きの方と後藤さんが違うのは、そういうところなのかもしれないですね。
後藤:コンセプト的にはそれでいいと思うんです。でも、世の中はやっぱり流れているので。アメカジっていう芯は変わらないけど、その中でも自分が新鮮に感じるのはどんなものかとか、そういう視点って1年後にはまったく別になってると思うんです。
設楽:そこが好きなんです。復刻とかは過去に帰って懐かしむものだけど、レミレリーフには懐かしさの中にも必ず新しさがある。新しいものを産む時ってそこには必ず歴史があって、どこかにかつての面影が絶対にある。筋の通ったものってそういうものだし、筋の通った未来ってそういうことだと思うんですよ。
後藤:時代って結局繰り返してるじゃないですか? ’80年代が流行ったりとか、’90年代のストリートがもてはやされたりとか。2017年になってもそういうことを繰り返してる。僕はそれをどういう視点で切り取るかっていうことをいつも意識してるつもりです。だけど、今の本当に先進的なデザイナーの中にはまったく新しいことをやってる人たちもたくさんいます。僕にはできないから、それがうらやましいなと思うときも正直ありますよ。
設楽:クリエイターだとかデザイナーって2種類いると思うんです。ひとつはアートに近い、今までまったく無かったものを作っていく人と、もうひとつは過去の歴史があって、それをベースにしたアレンジャーのような人たち。両方とも僕はすごいと思っていて、新しいものを作るデザイナーっていうのは川久保(玲)さんだとか(三宅)一生さんだとか、(ジャン・ポール・)ゴルチェだとか。アレンジャーで言えばラルフ・ローレンとか。どちらもすごい人たちで、そこに優劣はないと思うんです。
−−アメカジっていうベースを残したまま、毎回新鮮なアプローチをするっていう意味で、後藤さんは後者のクリエイターですよね。
後藤:恐れ多いです(笑)。ただ、服自体はベーシックなものを作ってるんだけど、これはなかったんじゃないかな?っていうような要素を組み込んで行くことは心がけています。シルエットや素材を新しくしたりとか、加工を新しくしたりとか。それをやるためにはどうしても工場がなくちゃできなくて、だから工場を構えたんです。自分たちにしかできないものを作りたかったから。
設楽:そこがすごいと思うんです。この時代に工場を持って服を作るっていうのは大変なリスクがあることだと思うんですよ。指示だけを出す振り屋さんでもいいはずなのに。だけど、それだから僕らには作れないもの、大手ではやれないことっていうのができるんです。そのパワーがすごい。
−−ルーツがある分、アヴァンギャルドなものを作るのとはまた違う難しさがありますよね。
設楽:そうだと思います。僕らはなかなかアメリカものが手に入らなくて、やっぱりヴァンとコカ・コーラがアメリカを教えてくれたっていう世代なので(笑)。そこでプレッピーハンドブックだとかの洗礼を受けて、“ファッションっていうのはこうでなければならない”っていうところから入ってたけど、そこからだんだん着崩すことを覚えて行ったし、ビームスでもそういう提案をしているつもりです。昔で言えばウディ・アレンがアカデミー賞の授賞式でタキシードの下にデニムを着てるのがめちゃくちゃ格好よく見えたり、それまで“こうじゃなきゃ”と思ってたのが、“これもアリなんだ!”って思えたときが面白かった。
後藤:すごくわかります。ただ、僕たちの世代は、設楽社長たちが道を切り拓いてくれていたから、アメリカものは周りにたくさんありました。単純にそれはすごいと思うし、それがあったから僕たちはアメカジにハマったんです。ありがたいですよね。
設楽:ただ、その経験は逆に言うとすごく勉強にはなりましたよ。どこにも情報がないから、欲しいものがあったときに、まずワケ知りの人を探すところから始まるんです。これに詳しい人はいないか? どこにいるんだ? って。僕がビームスを始めた時で1ドル330円、その前は360円っていう時代ですから、アメリカに行こうと思っても高いし、モノを買うにしても高いし。そういう時代でしたから。
−−そう考えると世代こそ違いますけど、アメリカものっていう共通言語があって、それを新鮮に楽しもうっていう感覚はお二人とも似てるのかもしれないですね。設楽さんがレミレリーフに今後期待するのはどんなところですか?
設楽:僕は今66なんですけど、56歳の時にレミレリーフが始まってそこから10年経った今でも変わらず着続けてる。これから自分が76になっても86になってもモテる服を作って欲しいですね(笑)。「このジジイ、格好いいよな!」って思わせられるような、筋の通った服を。後藤さんならそれが作れると信じてます。
−−……とおっしゃってますが、後藤さん、いかがですか?(笑)
後藤:いやいや! 設楽社長はもう十分格好いいんでこれ以上を望まなくていいんじゃないかと思うんですけど(笑)、素直に嬉しいです。僕のやることは今後も急激に変わることはないでしょうけど、見たことがないものを見たいとかっていう気持ちはずっとあるし、ベーシックなものの可能性を追求していきたいとも思ってます。それでできたものが良いものだったら、きっと設楽社長が、みなさんが袖を通してくれる、そう信じて突き進みたいです。
設楽:10年ひと昔と言いますけど、デザイナーとして、ブランドとして10年続けていくっていうのは本当に大変なことだと思うんです。だからこそ次の10年がどうなっていくのかっていうのをすごく楽しみにしてますし、これからもブレない服作りを続けて欲しい。そして、それが自分のワードローブに10年、20年と残ってほしい。それが、ビームスの社長というよりも一ファンとしての素直な気持ちです。10周年、本当におめでとうございます!
後藤:ありがとうございます!! これからもがんばります。あんまり、怠けずに……!

設楽 洋

BEAMS代表取締役設楽 洋
1951年生まれ、東京都新宿区出身。1976年に父・設楽悦三とともにビームスを設立。自身は“アメリカンライフショップ ビームス”の名で、原宿に6.5坪の店舗をオープンした。情報が少ない当時から海外の良品や新たなデザイナーなどをフィーチャーし続け、日本のファッションシーンを盛り上げてきた立役者の一人。

後藤 豊

REMI RELIEFデザイナー後藤 豊
1969年生まれ、愛知県名古屋市出身。リーバイス®のショップスタッフやアパレルブランドの企画を経た後、36歳で独立し、レミレリーフをスタートさせる。当初から自社工場を設けて、自身が影響を受けたヴィンテージの味わいと古着にはないモダンさを兼ね備えた質の良い服作りを続けている。